大判例

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東京地方裁判所 昭和51年(レ)270号 判決

控訴人

右代表者法務大臣

福田一

右指定代理人

島尻寛光

外二名

被控訴人

荒籾一郎

右訴訟代理人

寺崎萬吉

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

第一事実関係

一本件土地が被控訴人の所有に属していたこと、被控訴人は昭和一六年一月一五日成年に達したが、それまでの間継母ツ子(昭和五〇年六月二五日死亡)の親権に服していたこと、昭和一七年一〇月一日以降控訴人が本件土地の自主占有を始めたこと及び小笠原諸島は大平洋戦争終戦の日である昭和二〇年八月一五日から返還の日である昭和四三年六月二六日までの間米軍の占領、進駐下にあつたことは当事者間に争いがない。

二右事実に〈証拠〉を総合すると、本訴にいたるいきさつとして次の事実が認められ、他にこれに反する証拠はない。

1  被控訴人(本籍は現在、東京都小笠原村父島字屏風谷六番地)は大正一〇年一月一五日父一衛、母よしの長男として出生(昭和一六年一月一五日成年に達したことについては争がない)、五才のとき母を亡くし、八才のとき父は継母ツ子と再婚、昭和一三年九月一八日父も死亡したので父島にある本件土地ほかは同日被控訴人が家督相続により取得した。被控訴人は小学校を父島で過しただけで中学は熊本県立済々校(昭和一三年卒業)、大学は東京農業大学専門部(昭和一六年卒業)に学び、大学卒業と同時に日本水産株式会社(現在、日本冷蔵株式会社となる)に入社し、同社白石工場に配属されて昭和一六年から昭和二四年まで宮城県白石市に住み、その間昭和二〇年に妻帯した。父島には昭和一六年四月に徴兵検査で戻つたのを最後に(この時下宿先を父島の役場に届出ておいた)小笠原諸島返還後の昭和四三年八月墓参団の一員として訪問するまで行つたことがなかつた。

2  継母ツ子は昭和一七年秋頃まで父島に居住していたが、戦局の変化とともに婦女子には強制疎開が命じられ、そのころ同女の姉婿に当る神奈川県中部旭村大字坂間高橋利作方に疎開した。疎開後被控訴人とツ子はたまに交通するくらいで往来はなく、昭和二〇年九月被控訴人が結婚した時に初めてツ子が白石市を訪れた。その時被控訴人はツ子から被控訴人名義の土地売渡書に有合せの三文判を押印して本件土地を控訴人に売却したが、代金は貰つていないという話を聞いた。

3  右土地売渡書は昭和一七年一〇月一日付でツ子の疎開先である高橋利作方を現在所と表示して被控訴人名義で横須賀海軍施設部長宛に作成されているが、同書面には昭和二〇年六月二九日代金支払済の取扱がなされている。これは、所有権移転登記未了でも所有権以外の権利設定がない場合には代金の前渡ができるように旧海軍の買収取扱が昭和一六年に変更されたことにもとづくものである。その後昭和四四年一二月一五日に旧軍の買収財産整理を担当していた大蔵省関東財務局から既に日本冷蔵株式会社本社に転勤していた被控訴人へ本件土地所有権移転登記承諾書の提出を求める文書が発送され、以後両者間に交渉がなされた。

4  昭和四五年一月二六日財務局係員が日本冷蔵株式会社に被控訴人を訪問して所有権移転登記承諾書の提出方を交渉したが、被控訴人は母親らの了解を得て提出したいのでしばらく猶予されたいと答え、結局、承諾書は提出しなかつた。その間被控訴人は財団法人小笠原協会を通じて米軍から日本政府へ支払われた土地所有者等に対する補償金のうち金一〇〇万円ほどの配分を受けている。

第二控訴人の主張に対する判断

一自白の撤回について

1  被控訴人が本訴第一回口頭弁論期日において「昭和一七年一〇月一日代金三八〇三円四〇銭で本件土地の売買契約をしたこと」を自白し、前出土地売渡書(甲第一号証)の成立を認めたが、第九回口頭弁論期日において右自白(甲第一号証の成立についての認否を含む)を撤回し、これに対して控訴人が異議を述べたこと及び右自白は被控訴人(本人訴訟)がなし、その撤回は被控訴代理人においてなしたものであることは本件記録に徴して明らかである。しかしながら前段認定の経過によれば右自白が真実に反することは明らかであり、したがつて右自白は錯誤に出でたものと推認するのが相当である。

2  控訴人は右自白の撤回は故意または重大な過失により時機におくれてなされたもので訴訟の完結を遅延させるものであるから却下を免れない旨主張するが、右自白の撤回が被控訴代理人の過失に基くにせよ、時期におくれたか否かは第一、二審を通じて判断さるべきところ、本訴を通観するに右自白の撤回をもつて未だ時期におくれたとは云い難く、もとより訴訟の完結を遅延させるものとは受取れないので控訴人の右主張は採用できない。

3  したがつて被控訴代理人のなした前記自白の撤回は真実に反し、錯誤に出たものとして許さるべきである。

二使者ないし代理権について

控訴人は、被控訴人が継母ツ子を使者ないし代理人として本件土地売買契約をなした旨主張するが、前認定の事実関係からすれば、本件土地売買契約のなされたとする昭和一七年一〇月一日当時被控訴人は既に成年に達して継母ツ子の親権の行使から脱しているし、当時宮城県白石市に居住していて、神奈川県に強制疎開していた継母ツ子とは本件土地売買についての連絡があつたわけではないのでツ子が被控訴人の意を受けた使者ないし代理人といえず、控訴人の前記主張も採用できない。

三追認について

控訴人は、被控訴人は控訴人に対し昭和四五年一月二六日ツ子のなした本件土地売買契約を追認し、更に昭和五一年一月三〇日本訴第一回口頭弁論期日においても追認した旨主張するが、前認定の事実関係において明らかにしたとおり昭和四五年一月二六日の追認なるものは確定的なものとは受取れないし、更に昭和五一年一月三〇日の追認なるものも自白の撤回として訴訟上有効に撤回されていること既に明らかにしたとおりであるから、右自白に追認の効力は認め難く、控訴人のこの点の主張も採用できない。

四表見代理について

控訴人は、当時の民法により継母ツ子が未成年当時の被控訴人に対して有する法定代理権(親権)を基本代理権として代理権消滅後(民法第一一二条)の権限踰越(同法第一一〇条)による表見法理に基づき、被控訴人はツ子が控訴人との間になした本件土地売買契約について、その責を免れないと主張するのに対し、被控訴人は、その未成年当時継母ツ子が親権者として法定代理権を有していたことは認めるが、本件土地売買のなされた昭和一七年一〇月一日当時被控訴人は既に成年に達して継母ツ子の法定代理権は消滅しており、控訴人は右代理権消滅につき悪意もしくは善意であつたにしても過失ありと抗争する。

本件土地売買契約のなされた昭和一七年一〇月一日当時の民法によれば未成年の子に対し継母(父の後妻)も親権者であつたことは疑を容れないが、被控訴人は昭和一六年一月一五日成年に達している(この点は争がない)から、本件土地売買契約の当時既に継母ツ子の被控訴人に対する法定代理権が消滅していたことは明らかであるところ、前認定の事実関係によれば、本件土地売渡書(甲第一号証)は現住所を継母ツ子の強制疎開先の神奈川県中郡旭村大字坂間高橋利作方として被控訴人のみの名義をもつて作成されており、継母ツ子の親権を考慮した形跡は全く窺えないから、これをもつてみれば控訴人は当時既に被控訴人が成年に達していたことを知つていたのではないかと思われるし、また、知らなかつたとしても継母ツ子に問い合わせるなり、父島の役場届出の被控訴人の下宿先に問い合わせるなり、戸籍簿を調査することにより右事実は容易に判明することであるから、控訴人は継母ツ子の法定代理権の消滅につき悪意であつたか、少くとも善意につき過失ありといわざるを得ない。したがつて深くせんさくするまでもなく、控訴人の前記主張は失当である。

五取得時効について

1  控訴人が昭和一七年一〇月一日以降本件土地の自主占有を始めたことは当事者間に争がないが、前段明らかにしたとおり右占有のはじめ善意につき過失なしとは云い難いから取得時効期間は二〇年になるといわねばならない。

2  ところで本件土地の所在する父島を含む小笠原諸島が大平洋戦争終戦の日である昭和二〇年八月一五目から返還の日である昭和四三年六月二六日までの間米軍の占領、進駐下にあつたことは当事者間に争いがない。正確には昭和一九年住民総引揚げののち昭和二〇年八月一五日終戦を迎え、その後昭和二一年一月二九日付G・H・Qのいわゆる「行政権分離に関する覚書」により小笠原諸島に対する施政権は日本政府から分離され、さらに昭和二七年四月二八日発効の対日平和条約第三条によつて施政権は米国政府に譲与され、昭和四三年六月二六日発効の「南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定によつて返還されたものである。なお、沖縄、奄美の場合には、いわゆるニミツツ布告により従前の日本法令としての効力を有する旨の措置がとられたが、小笠原の場合には、そのような布告が米軍から出されたことはなく、その間昭和二一年に欧米系島民百数十名は米軍によつて帰島が認められたが、日系引揚島民の帰島は前記返還協定まで許されなかつたものである。以上の事実は公知の事実といわねばならない。

3  控訴人は、米軍の占領は控訴人のための代理占有に当るから、控訴人は本件土地を継続して占有していたものであり、仮りに米軍の占領により占有が中断したとしても、対日平和条約の締結により米軍の本件土地の占有は控訴人のための代理占有となつたから取得時効は既に完成している旨主張する。

小笠原諸島に対する日本法令の適用の有無という点では、米軍の占領によつて日本法令の適用が事実上停止され、前記覚書による施政権の分離、平和条約第三条による施政権の譲与によつて法律的にも日本法令が適用されなくなつたといわねばならないが、私法秩序の面では、小笠原諸島において米軍により、その変革はなされていないので従前施行されていた日本法令が慣習法的効力を有していたとみられよう。しかしながら米軍の占領、進駐をもつて私人間の取得時効の基礎をなす私法上の占有とかかわりあいをもつものと解することはできない。なぜなら土地賃借人が賃貸人のため土地を占有する場合とか質権者が質入人のため質物を保管する場合のような代理占有関係と同様に、占領軍が私人としての控訴人、被控訴人のいずれの側のためにしろ、従前の私法上の占有代理人として本人のためにする意思をもつて占領を開始したとか、平和条約による施政権の譲与によつて米国政府が右と同様の意思を持つて私人としての控訴人のため代理占有を始めたなどとは事柄の性質からして凡そ考えられないからである(なお、小笠原諸島における土地取得時効について付言するに、被控訴人を含め日系小笠原旧島民は返還協定までは入域が禁止されていたから自己所有地の占有回復や管理、土地占有者に対して訴提起等の方途が存しなかつたことは明らかであつて、このような場合には時効は進行しないと解するのが相当であろう。もともと時効は一定の事実状態の尊重ということ――取得時効の場合は長期間の占有――のほかに、権利者において権利行使をしうるにもかかわらず、これをしなかつたという、いわば権利の上に眠れる者には法の保護を与えないという側面をもあわせもつ制度であるから、権利者に権利行使の方途がない場合には制度の趣旨からして時効の進行はないというべきであるからである。本件の場合右と異別に解さねばならない根拠は見出し難い)。

したがつて、控訴人の占領軍ないし米国政府による代理占有の主張も、また、採用できない。

第三結論

以上の次第で控訴人の本訴請求は、その余の争点について判断するまでもなく失当として棄却を免れず、これと同旨の原判決は相当であるから本件控訴は理由がない。

よつて本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(麻上正信 板垣範之 小林孝一)

物件目録

(一) 東京都小笠原村旧小笠原島父島大村字夜明山三二番

畑 四四一九平方メートル

(二) 同所三三番

畑 二五六五平方メートル

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